PROFILE of onestone

Profile

img065.jpg

img063.jpgimg062.jpgK005.jpgパイレーツ.jpg

 琵琶湖畔の滋賀県で1959年生まれ、18歳まで三世代同居の家庭に育つ。教師の父から技術を受け継ぎ、感性は、特に牧師で政治家、人権活動家だった祖父、西村関一に影響を強く受ける。料理の腕前は母譲り。

 アーティスト(彫刻家、インスタレーション造形作家、アートオーガナイザー)吉川恭生は小学生5年生の春、マリノ・マリーニに感動、のち19歳の時イタリアに留学。潜在的地中海気質を確認する。

一年余りイタリア、ペルージアで過ごした後、1981年にスイス、ジュネーブ美術大学に入学。彫刻家ガブリエル・スタンニュリスに師事する。1984年トリエンナーレ・ランシー野外展にてステンレスケーブルで自然石を空中に吊した「ノスタルジア」を発表。

 1984年、帰国後、京都芸術短期大学、京都造形芸術大学で建築デザインを16年間教える。この頃「アート-社会-環境」を意識した活動を始め、プロジェクトを立ち上げ始める。滋賀県の環境保護運動にかかわり、「琵琶湖自然環境ネットワーク」を組織、幹事をつとめ、活動し現在にいたる。

 1989年、琵琶湖畔にアトリエを構え、墨と丸太木材を使ったインスタレーション「最後の晩餐」をGalerie 16で発表。「虹の彼方へ」をGalerie Porte Avionマルセイユで発表。

 Biwako Artists’ Organization (BAO)を主宰。1990年琵琶湖、沖の島にて国際芸術祭「BAO芸術祭in沖島」1991年「BAO芸術祭in堅田」を主催。関西を中心に活動するアーティストと海外からのアーティスト達が、美術、音楽、パフォーマンスなどを町全体を会場に使い一ヶ月間作品を発表した。

 1991年イタリア、ミラノで初個展。三ヶ月滞在して企画から制作まで現地で行う。のちミラノ郊外ストラデッラ、ペルージアで企画展に参加する。「時を掴む」を発表。

 1993年パリ市、京都市共同プロジェクトを企画するため「芸術計画Z・A」を主宰。パリ11区バスティーユにある「ジェニー・デ・ラ・バスティーユ」という団体とのアトリエ交換交流を二年にわたって行うアトリエ開き展を企画し始める。1995年パリ、1986年京都で総勢60名のアーティストが一ヶ月交流展を開催した。

 パリとの交流をきっかけに、京都にあった「アートフェア」を改新し、京都の芸術文化のシンクタンク的役割を担うべく「アートカウンシル」を幹事として立ち上げる。

 1992年にインドネシア、バリ島を訪れて以来、「お供物」に興味がわき、以降作品のタイトルに「供物」と付けている。*ArtworkページのText参照

 1995年1月17日神戸で起きた阪神淡路大震災に色々な経緯と私的必然により二日目より神戸でボランティアリーダーとして3ヶ月活動。のちに、国境なき医師団(MSF)に参加、グルジア、コソボ、コンゴ共和国のミッションにパリから派遣される。

この頃、アートと社会のかかわりを考えるより、社会芸術を意識するようになる。ヨセフ・ボイスの唱えていた社会彫刻を考えるようになる。

 MSFミッションでの紛争地域から受けた感情、種々経験からコミュニケーションの必要性を痛感。社会彫刻を実践するべく、バー・レストラン「Alternative Space ATHA」を京都市役所界隈にオープン。惜しまれつつ6年で閉店。

 2008年トリノ、アリエ国際彫刻ビエンナーレで「プラトン的徘徊」を発表。これは第一部として作品はまだ完成していない。(制作中)

 現在、「ノアの方舟プロジェクト」を制作中。

 現在まで、フランス、イタリア、スイス、韓国、日本で作品を発表。